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カテゴリ:まさに歴史( 23 )

サンタンジェロ城の屋上でティータイム

---先日のローマ旅行より---

もう一軒おすすめバールを紹介します。
ローマに住んでた頃、サンタンジェロ城が好きでちょくちょく行って発見したのが、一番上にあるバール。サンタンジェロ城自体入場券必須なので気軽には行けませんけど、眺望が素晴らしいのでついつい行きたくなるんです。

まずはミカエル大天使の真下の広場でグルリと周りのパノラマを楽しみ、更に上へと進むとバールに到着。

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大天使ミカエル、かっこいいいですね。オリジナルから数えて5代目で、1753年にピーター・アントン・フォン・ヴェルシャッフェルトが製作した青銅像です。


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城の正面に架かる橋。


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ヴァチカンのクーポラに夕日がさして後光のよう。

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ここがバールです。速攻で外席をゲットしましょう。夏は藤棚が日陰を作ってくれます。
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ヴァチカンとつながっている通路を上から見ることができます。この時期残念ながら通ることはできないけれど、年に何度か期間限定で入れるんですよ〜。

チーズケーキと紅茶を頼んでゆっくり眺めを満喫。ちょうど夕暮れタイムで美しい時間帯。

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城内にはドムスアウレアで見た、グロテスク装飾がここにも施されてました。

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そもそも、このサンタンジェロ城は、古代ローマ皇帝ハドリアヌスが紀元130年に建築家デメトリアンに自身とその家族の為に霊廟を建てるよう依頼し、紀元139年アントニヌスピウスによって完成したものがオリジナルで、これはその模型。先に建てられたアウグストスの要塞にインスパイアされたようです。

その後、要塞、教皇たちの住居、バチカン公文書館、財務管理所、法廷、刑務所などなどと歴史の変動に伴って様々な用途に移ってゆくのでした。

今度、ヴァチカンからの通路を通れるときに是非また訪問したい!



by Jonetsu-Italia | 2019-05-06 05:44 | まさに歴史 | Comments(0)

ドムス アウレアでパンテオンの原型を見る

---先日のローマ旅行より---

すっかり存在を忘れてたんですが、コロッセオの近くでそういえば、ドムス アウレアに行きたかったんだと思い出してローマ観光案内デスク、060608へ。この番号はオペレーターまでたどり着けば結構便利。営業時間などの最新情報や予約も直ぐに電話で確認できます。

ラッキーなことに翌日の予約は空いていて速攻で予約。念願のドムス アウレリアに入ることに。

「domus aurea 」はラテン語で黄金宮殿。ローマの大火の後、紀元68年古代ローマ第5代皇帝ネロによって建てられた、煌びやかな宮殿のことです。もちろんローマの再建を願うローマ市民からは大顰蹙をかうことに。しかし250へクタールのその広さにびっくり。

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入って直ぐにビデオでまず宮殿地図などの説明を受けます。青い部分は庭園内の人工池で、現在のコロッセオですから、いかに広かったか。。。緑の部分が全て敷地ですからね。今回は池の右上オッピオの丘にある白っぽい建物(住居部分だった箇所)へと入ることになります。

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ルートを戻りますが、ここが入り口。結構分かりにくい。予約ごとに時間が仕切られていてひとグループにまとまり、ガイドさんと一緒に入場。私たちはイタリア語コースを選択。(英語もあり)

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一応地図を見ながらどこへ向かうのかを説明してもらい、中央から右側へ進みます。

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3Dで当時の敷地地図映像を一通り見せてもらい、想像を膨らませます。この金のネロ巨像は過去記事でも触れましたけど、後にコロッセオの前に移されることに。

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ガイドさんが、この瓦礫の地層を指して「これが非常に重要なんです。」と、実はこの部分のドムスアウレアは後にトラヤヌス皇帝が
全て土で埋めてしまい、浴場を建設。その土がこうやって露出しているのを垣間見ることが出来ます。
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トラヤヌス浴場の地図を実際にドムスアウレアに重ねるとこういう感じ。ほとんどが埋められているというわけ。

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まもなく進むと、バーチャルリアリティーで当時の宮殿の様子を見ることが出来る部屋へ。各自椅子に座って設定されているゴーグルをつけるシステム。時代の進歩を感じるなぁ。20分ほどですけど、金や真珠で装飾された宮殿内部、及び庭園、周りに広がるブドウ畑、草原や森などを散歩するよるような感覚。なかなかの迫力で理解力アップ。ネロ自身がカンパーニャ州の海沿いの邸宅にインスパイアされた宮殿だとよく分かります。

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ところどころに素晴らしい壁装飾が残っており、1400年代後半には、有名画家のラファエロも内部に入りこの装飾を見て影響を受け、当時のバチカン宮殿回廊を施したとか。いわゆる現在のグロテスク(グロッタで発見された古代美術)装飾の起源です。
トラヤヌス皇帝が埋めた土のおかげで、ポンペイの火山灰のようにこれらの装飾が湿気から守られたというわけ。

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奥には八角形の部屋があり、天井からの穴はオクルスといってラテン語で目の意味で外光が差し込むの眼窓があるスタイルに。後にパンテオン再建にも用いられているとのこと。なるほど、ここに原型があったとは、びっくり。
ここはダイニングルームに繋がっていたようです。

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皇帝ネロの死後、火災にあってほとんどが失われ、また歴代の皇帝の手で破壊され、それぞれ別の建造物に姿を変えてゆきます。コロッセオなどはそのうちのひとつ。人工池の水を抜いて建設しました。我々が入ったこのトラヤヌス皇帝の浴場の下は第二次世界大戦後より徐々に掘り起こされて、1999年より一般公開するも大雨などの被害により2005年に再び閉鎖。近年になってようやく制限付きで公開されるようになりました。しかし、真上にある公園の木が成長しその重みと雨が降る度に水が中へ入り込むなどの問題があるため、現在では数々の改善策がとられています。

上の写真はその模型図。

約1時間30分の見学ツアー、構造がかなり複雑で何度も行かないと分かりにくいかも。何よりも遺跡に遺跡が何層にも重なっていて、まさに歴史のミルフィーユ。奥深すぎる。でもひとつ知ると更にその先を知りたくなるんですよ。また来よう!




by Jonetsu-Italia | 2019-05-02 07:33 | まさに歴史 | Comments(0)

ジュリオチェーザレの命日。

ローマ人なら3月15日が何の日かほぼ知ってます。
紀元前44年、チェーザレが暗殺された日です。2000年以上も前の人物の命日を今でもみんなが忘れないということは、彼はローマ人にとって本当に偉大な存在だとよーく分かります。こちらでは『le Idi di marzo』と呼ばれるのが一般的。(当時のカレンダーで春が始まる日が3月15日でその日に歴史的イベントが起こったのでその名がついたらしい)

ジュリオ・チェーザレとはユリウス・カエサルのイタリア語読みで、イタリアではカエサル、シーザーの名前ではあんまり通じないことを知った時はびっくり。

2012年にスペインの歴史学者Antonio Monterroso氏、率いるCsisという考古学チームが初代ローマ皇帝アウグストゥスがチェーザレの暗殺後その場所に非難の意味で建てたとされる長さ3メートル、高さ2メートルの構造物を3Dレーザーで発掘。場所はPiazza Argentina にある考古学地区Largo di Torre Aargentina 元老院の議事堂内でした。そこで座っていたチェーザレが上院議員に囲まれて刺され、その傷は23箇所にも及んだそうです。
それまでまさかそこが暗殺された場所だったとは知られてなかったこともビックリ。

その様子を毎年その日に、その場所でローマ歴史クラブによって再現劇が催されるんです。常々ずっと観てみたいなと思ってて、今回日本出張の疲れが残りつつも、がんばって行こうと。それが今回の理由というわけ。

我々が到着したら既に劇は始まっており、大勢の観客が広場をグルリと囲んでて、やっと遠くから観れる場所を確保。
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見えますかね?円柱が並んでる場所に白い服を着た人達が居るのを。正確にはもう少し別の箇所なんですが、きっとステージとして演技しやすいんだと。
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ズームするとこんな感じ。
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兵士達が外でスタンバイ。
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亡くなったチェーザレを運んで行きます。(中は人形ですよ。)チェーザレ役の人は仕事終了(笑)
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この状態でVia delle Botteghe Oscure を進み。

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マスコミも観客も一緒に進みます。

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ヴェネツィア広場を横切り。Via dei Imperiali をフォロロマーノ方向へ進みます。時折泣き女役の人が『チェーザレーーーーー!』と泣き叫ぶので結構リアル。
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チェーザレの銅像の前を横切り横切り(そこはスルー)。未だに花を手向ける人も。
ちょっとジーンときます。
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その後はフォロロマーノへ入って行くのですが、そこからは有料なので我々はやめときました。最終的にはチェーザレが荼毘に付された場所で終了となります。

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カンピドーリオへ戻ってArco di Settimio から中を覗きました。このアングルなかなかいいんですよ〜。

快晴だったし念願のイベントを見れて満足〜〜。チェーザレはやっぱり偉大だとしみじみ思う1日でした。










by Jonetsu-Italia | 2019-04-07 07:49 | まさに歴史 | Comments(0)

知られざる古代ローマ皇帝たちの巨像

『Colossale del genio di augustro』 colosso とはイタリア語で巨像のこと。訳すると、『ジー二アス、アウグストゥスの巨像』となります。トラヤヌス市場の5階展示室に、興味深い資料を見つけました。

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左の欠片は人差し指、右は手首の一部ですから、その大きさを計り知れます。(写真で見ると小さいんですけど)。

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なんと高さ11m(鎌倉大仏と同じ高さ!!)にも及ぶアウグストゥスの巨像が彼のフォーラムにあったそうです。紀元2年建設でその姿はまさに観音像の如く。
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↑想像図(http://www.mercatiditraiano.itより拝借)

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周りの壁には美しい装飾がなされており、その残片が展示してありました。
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こちらは巨像といえば有名な、ギリシャ、ロドス島にあったとされるロドス島の巨像。紀元前305年に造られ、世界七不思議のひとつとされています。高さ33メートル。(wkipedia より拝借)

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こちらは古代ローマ、ネーロ皇帝の巨像。高さはニューヨ-クの自由の女神像とほぼ同じで33.5メートルですから、かなり大きかったんですよね。なんとコロッセオの真ん前に建っていたとか(紀元127年頃ハドリアヌス皇帝がコロッセオまで移動したようです)、強烈な印象。紀元64~68年に建設。
ロドス島よりもちょっぴり高くしたのは意地ですかね。

(画像はwkipedia より拝借)

なんとなく自由の女神の前身を見た気がします。







by Jonetsu-Italia | 2019-02-03 18:51 | まさに歴史 | Comments(0)

トラヤヌス市場から夕日を眺めること。

12月の誕生日にローマに行った時の話がまだありまして。。。

昔ちょこっと住んでいたときも何度となくその前を通ったにも関わらず、一度も入ったことのない場所、トラヤヌスの市場に入りたかったんですよ。
トラヤヌスが皇帝だった時期、歴史上初めての屋根つき商業複合施設として、紀元100から110年の間に建てられました。館内には150もの商店が引き締めあっていたとか。言わば、古代大型ショッピングモールですかね。
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ピアッツィアヴェネツィアからフォロロマーノやコロッセロへ向かうVia dei Fori Imeriali にあります。

その近辺にはトラヤヌスのコロンナ、古代ローマ代々の皇帝たちのフォロ(フォーラム)跡があり、観るべき遺跡群はこれまた多いわけで、本当は丁寧にひとつずつ見学したいのですが、時間に余裕がないので、今回はパス。本来ならトラヤヌスのフォロくらいはしっかり見学したほうが、市場との位置関係を知るにはベターだったかも。

それにしても肝心の市場の入り口が非常に分かりずらい。市場を真正面に見て左側奥、Via Quattro Novembre から入ります。
実際には2007年にきちんと館内が設備され博物館になってました。

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全体で6階建ての構造で、入り口は既に4階、フォロのある1階まで降りてゆくコースになっています。建築学上でも興味がある遺構ですね。

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Grande aulaと呼ばれる、入り口の大きなホール。左右いくつか部屋が分かれていて、現在は皇帝たちのフォロから出土したものを皇帝ごとに分けて展示されています。この各部屋は同時は売店で小麦など、穀物を市民に無料で配布したりしていたとか。

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奥の部屋にはワインやオリ-ブオイルを入れては移動に用いた土器、アンフォラが並んでおり、市場でも容器として活躍したようです。アンフォラに特化して研究した人物は稀で、ドイツ人Heinrich Dressel氏が1900年始め、その出所や得意の碑文学からアンフォラに刻印された記号を読み込んで研究を重ねました。アンフォラは各遺跡から出土するキ-になるアイテムで何処から運ばれたか、原産地などの足跡を知る大きな手がかりとなるので、大変重要なのです。

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そのままGrande aulaの上、5階に上がると、パノラマを眺めるテラスに出れるようになっています。そこからの眺めが非常に素晴らしい。
ちょうど夕暮れ時でうっとり。初めてイタリアに来たときのこと、生活を始めたことなどもろもろフラッシュバックしましたよ〜。

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こちらは館内にあったコロッセオの完全復元模型。この市場の建設より約20年前にコロッセオは既に建設されてたので、ここからも眺められたんでしょうね。

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すっかり陽も落ちて遠くにクリスマスツリーのイルミネーション。

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3階Via Biberaticaにはアッピア街道と同様に石畳がそのまま残っています。
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もう一度5階へ戻って、Via Biberaticaを上から見てみます。

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パネルなどで古い写真など解説アリ。なんと、1200年代にはもともとのフォロの上にアパ-トなどが建てられてたらしく、
後にそれは取り去られました。

トラヤヌス市場の話はまだ続きます。



by Jonetsu-Italia | 2019-01-28 06:22 | まさに歴史 | Comments(0)

ローマの松ぼっくり地区

ランチの帰り、ヴェネツィア広場でトラムを降りると直ぐに、フォンタ-ナ(噴水)を見つけたので、水をグビグビ。形は松ぼっくりです。
上を見上げると松の木で親子丼のような雰囲気。

松ぼっくりの先端からも水が出る仕組み。

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後でよく調べてみると、この噴水は 彫刻家Pietro Lombardia の作品で、ヴァチカン美術館の中庭にあるLa pigna Romana を模していて、それは元々Terme di Agrippa の飾りであったとか。その発見された周辺を rione di pigna (松ぼっくり地区)と命名。ローマ皇帝アウグストスの時代にはすでに区画整理が行われていて、その後幾度の編成の末現在の地区があるわけです。確かに“パリオリ地区”とか耳にしますよね。その彫刻家Pietro Lombardia はSant’Eustachio 地区にも Fontana dei libri などを手掛けていて、散歩途中に私も見かけた事があるのを思い出しました。

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こちらが区分マップです。それぞれにちなんだエンブレムがあって、それを表現したフォンターナを探すのも楽しいかも。

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松ぼっくり地区のエンブレムはこちら。




by Jonetsu-Italia | 2018-12-29 07:24 | まさに歴史 | Comments(0)

一万年もの歴史ファッロ小麦 『triticum monococcum』

ファッロ(スペルト)小麦は普通小麦の一種で、3種類に分かれます。

  1. triticum monococcum
  2. triticum dicoccum
  3. spelta
イタリアで一般的に普及してるファッロはtriticum dicoccumの事。パスタ、パン、お菓子などその用途は多様。
古代小麦で古代ローマでも食されてたほど。以前ポンペイで食べたフォカッチャ(過去記事)にもファッロ小麦が使われてましたよ。

5月に仕事で、弊社提携の小麦畑視察で訪ねたアンドレアのところへ最近行ってきました。5月末はまだ青々としていた畑も、一面黄金色に変わっていて、収穫もほぼ終わりに。
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こちらは5月末の様子。


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そもそもファッロは海抜が500m以上の丘陵地帯を好んで栽培されます。ボロ-ニャ口外モンテレンツィオ近くに彼の小麦畑があり、もちろんオ-ガニック。古代小麦は強靭で殺虫剤、除草剤、化学肥料、殺菌剤も必要ないそうで、オ-ガニックには向いている穀物。

ただ、小麦の外皮が異常に厚くて、製粉所へ回す前に、もう一箇所その外皮を取く作業をしなければならなくて小麦粉にするまでに30パーセントは失ってしまうので、製品化するには手がかかり、出来高も少なく採算はあまり合わないとか。
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普通の小麦よりも背が高いので、収穫前は穂がお辞儀するのが特徴。今年はやや少なめだそうです。小麦が生えている部分をみると、3,4本くらいで、多いときは7,8本出てくるそうで。昔は若い麦が出始めのとき、羊を放してわざと食べさせて剪定させて、その後勢いの良い小麦が生えさせることをしてたとか。

最近の古代小麦ブームで要望も多いの?と聞くと、そうそう、triticum monococcumが特にねと。各大学も研究を重ねているようです。
「triticum dicoccumは5000年くらい昔からだけど、triticum monococcumは一万年くらい前だから」一万年!?
そもそもメソポタミアくらいからだそうで、古代は古代でもそんなに昔とは!もう、びっくり。アンドレア自身も雑穀の中で一番好きだそうです。

「小麦の香りが本当に良くて、お菓子にするといいよ」と。グルテンが少ないファッロは基本的にパンには向いてないそうです。

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上が、monococcum で粒が小さいのがわかりますね。下がdicoccum

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左が、monococcum 右がdicoccum。

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奥様の手作りファッロ小麦のケーキをいただきました。これはdicoccum。



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チコリアのブルーが映える小麦畑。monococcumの穂をもらったので、ちょっと来年蒔いてみようかな。

triticum monococcumこれから注目ですよ。









triticum monococc


by Jonetsu-Italia | 2018-07-15 23:24 | まさに歴史 | Comments(0)

カラヴァッジョの墓参り

マレンマ地方はMonte Argentarioに寄らないと。って事で、前回同様魚を食べに。

でもまず、ポルト エルコレでしたいことがあったんですよ。

前回知らずに帰っちゃって、今回はぜひカラヴァッジョのお墓へ行きたくて。詳細は過去記事を。

イタリア画家巨匠のひとりカラヴァッジョが波乱に満ちた生涯を閉じた土地。ナポリからロ-マに船で向かう途中、Palo Lazialeに漂着。なんとそこからPorto Ercoleまで約115km、海岸線を歩いたそうです。そして、熱病に侵されこの小さな街で亡くなったのかと思うと感慨深いものがあります。

↓この地図は彼の人生の足跡をたどったもの(wkipediaから拝借)。こう見ると、いかに波乱万丈だったのかがうかがい知れます。
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亡くなった後は、 海岸沿いで波風の強いSan Sebastiano共同墓地に埋葬されていたようです。
お墓があるのは、そのSan Sebastiano墓地が昔あった場所。いまはひっそりとした住宅街になっています。

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祭壇はローズマリーに囲まれて。
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その上には彼の代表作『静物画』をモチーフにしたオブジェ。
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こちら本人の作品『静物画』。オリジナルはミラノのPinacoteca Ambrosiana美術館にあります。
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Porto Ercole のたたずまい。風光明媚なヨットハーバーがある漁街です。
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彼が船に一緒に載せていた3つの遺作は、ローマのシピオーネボルゲーゼ枢機卿に恩赦を請うために届ける為だったとか。そのうちの1点は現在ボルゲーゼ美術館所蔵の
San Giovanni Battista Borghese』。↓
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もう1点は『San Giovanni Battista disteso』現在ドイツ、ミュンヘンの個人コレクター所蔵。↓

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そして最後の1点が長い間所在不明になってたのですが、近年イタリアのカラヴァッジョ研究第一人者、Mina Gorgorio 氏によって、個人のコレクター所蔵のものをオリジナルだと断定された『法悦のマグダラのマリア』『maddalena in estasi』 ↓。
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なんと全く知らなかったんですが、この『maddalena in estasi』今日本の国立西洋美術館で世界に先駆けて公開中なんですね〜。ビックリしました。

苦悩を抱えながら、ひとつひとつ作品に着手し、どんな思いを込めて描いたのか。
異端な生き方、光と影、まさにそのものが絵にも表現されてると思います。後に多くの、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ゴヤ、ベラスケスといった多くの有名画家を魅了し、影響を与えたキアロ スクーロ技法。大胆な構図とまるで浮き上がってくるような立体感。

はじめは彼が時に見せるグロテスクな描写が好きじゃなかったけど、その生き方をオーバーラップさせた上で、それが彼の気持ちの表現なんだと納得。観る視点がガラッと変わって、彼の絵を好きになりました。

追われ続けてクタクタだったカラヴァッジョ、この小さな街ポルト エルコレで安らかにお眠り下さい。


by Jonetsu-Italia | 2016-02-25 01:50 | まさに歴史 | Comments(0)

イタリアのりもの全員集合

国立レオナルドダヴィンチ科学博物館の敷地はわりと広く、屋外にも歴史的な潜水艦が置いてあったり、飛行機や船の館があって、実物大で体験できる仕組みになってます。
いきなりドーンと置いてあるのは、1921年に造船されて実際地中海を運航していたS.Giorgo号。
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その向こう側に、PRADAの文字。現代のルイヴィトンカップで使われてた、Luna rossa のカタマラン。こんなに巨大だったとは驚き。
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下の人と比べてみて下さい。
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ヘリコプターの展示のところで目にとまったのがこのパネル。そもそもメープルの種がモデルだったんですね〜。
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これがヘリコプターの原型ですから。
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1800年後半から1900年前半にかけて活躍した蒸気機関車が幾つも保存してある館も覗いてみました。鉄道ファンにはたまらないでしょうねぇ。
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ミラノのトラムの移り変わりも垣間見れます。一番初めは馬車か。。そりゃ、そうだ。
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天井のランプが素敵。
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お鮨を食べた後、特有の咽喉渇き地獄に襲われて、自動販売機を捜し歩いて、行ったりきたり。3回もドリンクを買いましたよ。キツイ炭酸飲料をがぶ飲みしたら、結構気持ちも落ち着いて、余裕を持って見学できました。

この博物館、全体を通じてなんとなくデジャビュ感覚。子供のころ読んでた『学研のひみつシリーズ』ですよ❗️❗️『発見のひみつ』とか、ほとんど全巻読んでました。外人が登場してもマンガで説明されてて子供でもすんなり入り込めて記憶に残りやすい。
また読みたくなりました。


by Jonetsu-Italia | 2015-12-15 21:54 | まさに歴史 | Comments(0)

食後に天才ダヴィンチ三昧。

今回はゴンタを連れてなかったので、普段犬と一緒に入れないところを廻ることに。

日本食ランチした後、満腹状態で脳を刺激する為に教養を高めようと行ったのは、国立レオナルドダヴィンチ科学博物館。彼の生誕500年を記念して設立されたイタリア科学の歴史に触れるための博物館。それでもやっぱりメインはダヴィンチということで、彼の発明に触れるコーナーに。

彼の発明デッサンの図案コピーと、それを元に実際近代の科学者が作った模型とで構成された回廊を通ります。背後の大きなパネルは彼の美術作品の一部がイメージとして使われています。

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ひとつひとつゆっくり鑑賞と言いたいところだけど、なんともお腹が苦しくて、それはそれはキツかった。
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幾つも幾つも、アイデアが浮かんで次々に発明したものは現代の姿とあまり変わっていないのが本当にビックリ。
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反対側には人体の解剖図など。
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機密なデッサンはまるで写真のようです。優れた観察力とはこのこと。
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これは水中に杭を打ち込む機械。運河や回転式の橋など、水路に関する建設にも
多く関わっています。
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ヴェネツィアなどのような埋め立て地にする為に用いられていた機械ですね。
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有名なグライダー『Aliante』。今にも飛びそうな感じ。
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植物に関しても研究してます。
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個人的に印象に残ったのがこのスケッチ。学名
Ornithogalum divergens Boreau。
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実際の写真がコレですけど、割と簡単に見つかる野草で、薬学的な視点から研究していた模様。
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過去記事で登場した、イモラの地図。全てコピーでオリジナルではないんです。
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パトロンからの要望がほとんどとは言え、こんなに多岐にわたって興味を持ち、生涯研究に勤しんだダヴィンチは寝る時間なんてあったんですかね。


博物館の話、続きます。





by Jonetsu-Italia | 2015-12-14 21:51 | まさに歴史 | Comments(0)